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分譲マンション史より見た現市場規模

有限会社市場開発研究所
代表取締役 李 健三

[ はじめに ]

 第2回不動産と人権セミナーにも多数のご参加を頂き誠に有難うございました。今、現在という局面も、歴史の1コマであり、現情勢を正しく理解するには歴史から学ぶことが不可欠です。第2回セミナーでは私自身がこのことを再認識しました。

 さて、分譲マンションも第1号が1956年(四ツ谷コーポラス)に登場。近畿圏でも1963年(メゾン西宮)にその歴史が始まっているようです。また、分析可能な分譲マンションに関するデータも1973年以降は整理されています。データとして40年の歴史を学ぶことが出来る段階にあるということです。

私の担当する不動産マーケティングレポート第1回目は近畿圏分譲マンション史を概観的に振り返りながら、現市場についての理解の一助としたいと思います。

[ 現在の供給量はこの40年でも最低水準 ]

 不動産経済研究所資料(「全国マンション市場・30年史」)によれば、これまで分譲マンション市場は首都圏を中心に以下の8回のブームを見ているとのことです。

  • 第1次ブーム ・1963~1964年「オリンピック景気」
  • 第2次ブーム ・1968~1969年「いざなぎ景気」
  • 第3次ブーム ・1972~1973年「日本列島改造」
  • 第4次ブーム ・1977~1980年「技術革新」
  • 第5次ブーム ・1986~1987年「内需拡大」
  • 第6次ブーム ・1989~1990年「バブル」
  • 第7次ブーム ・1993~1996年「生活大国」
  • 第8次ブーム ・1999~2001年「資産デフレ」

 これを近畿圏の新規供給戸数に当てはめて見ると(図①)、第2次・第2次ブームはデータが揃っていない時期。第3次は73年の2万4926戸が74~76年の2万戸切れに比べ、相当量であったことは確認できます。それが第2次オイルショック(73年)により一気に不況に突入したわけです。

図1

図1 近畿圏の新規供給戸数
(クリックで拡大)

※75年以前及び96年4月以降の数値:(株)不動産経済研究所のデータよりCRIで集計。76年より96年3月までの数値:CRI調べ

 一方、第4次ブーム(77~80年)は4年間の総供給が9万7275戸、年平均で2万4319戸です。第3次ブーム相当の供給量が4年間続いたわけで、当時の感覚からすれば、確かにブームであったと考えられます。このブームは第2次オイルショックで終焉しますが、マンション供給量は80年代前半で安定的に2万戸半ばを記録しています。無論、個別物件の売行きは必ずしも良くはありません。私自身、この頃の販売企画書では(小戸数規模物件でも)「竣工6ヶ月完売」・「たちあがり70%成約」などと目標を書いていたことを記憶しています。しかし、極度の供給調整が行なわれることはありませんでした。

 80年代後半、ブームが訪れます。特に89年をピークとしたバブル景気に市場は沸きますが、この80年代後半も新規供給戸数は2万戸台後半です。

 バブル崩壊がマンション市場に与えた影響は当然に大きく、不動産業者の経営破綻も相次ぎました。バブル崩壊後の新規供給戸数は2年連続で1.2万戸という過去最低水準に落ち込みます。余りに高値で仕込んだ土地では供給ができなかったことに加え、新規の土地仕込みがストップしました。

 90年代のブームはこの少量供給期間を取り戻す勢いの発売が続きます。特に96年は阪神・淡路大震災後の特需、消費税率上昇前の駆け込み供給も重なり。4万4000戸台という空前の供給量になりました。

 新規供給戸数は99年~2002年にも3万戸台後半をマークしています。この位の規模まで回復する力が近畿圏市場にあると信じたいのですが現実はそうでもない点が苦しいところです。

 さて、リーマンショック年以降の新規戸数は2万戸強という水準に落ち込んでしまいます。2008年~2011年の年平均供給戸数は2万1116戸。本年の(不動産経済研究所による)予測供給戸数は2万700戸ですから、08年以降5年間の平均は2万1033戸と見られます。

この年間2万1000戸が過去と比べてどういった水準なのでしょうか。

 過去の不況突入以降5年間の供給戸数の年平均を見ると次の通りです。

  • 第1次オイルショック後(73~77年) ― 19064戸
  • 第2次オイルショック後(80~84年) ― 25255戸
  • バブル崩壊後(90~94年) ― 22281戸
  • (拓銀・山一など)金融危機後(97~01年) ― 32903戸

 今回の低水準供給量は表面上は第1次オイルショック後・バブル崩壊後に近い数字ですが、70年代と今日では世帯数が大きく異なる為、単純には比較できません。また、両時期とも不況突入から5年以内に反転して大幅な供給増に転じています。周知の通り、マンション供給は土地仕込みが先行し、今現在ですと用地取得から発売までに1.5ヵ年超を要するでしょう。供給業者数が大きく減少し、用地取得も急増しているわけではない為、引き続き低水準供給戸数になる見込みですが、今回のそれは長期間低水準状態という点でも過去になかった状況です。

[ 世帯数より見れば空前の低水準供給 ]

 分譲マンション需要は世帯単位で発生すると見るのが妥当ですので、潜在需要量の指数は人口よりも世帯数と思われます。その世帯数の推移を見ると(図②)一貫して増加を続けていることが分ります。核家族化の進行、夫婦のみ世帯、単独世帯の増加などにより、世帯当り人員は減少しています。また、人口もピークアウト(大阪府は09年にピーク)していますが、世帯数は依然として増え続けています。

 ちなみに過去の不況突入後5年平均の世帯当り供給率を見ると次の通りです。

  • 19604戸(73~77年)÷529.7万世帯(75年)=0.37
  • 25255戸(80~84年)÷629.2万世帯(82年)=0.40
  • 22281戸(90~94年)÷709.1万世帯(92年)=0.31
  • 32903戸(97~01年)÷780.7万世帯(99年)=0.42
  • 21033戸(08~12年)÷885.8万世帯(10年)=0.24

 現在の供給戸数は、絶対的な数値として低く、低水準供給期間として過去最長です。しかも、世帯当りの供給率では第2次オイルショック後の低水準期の6掛けでしかないということです。まさに、マンション市場は全く未体験の低市場規模のものになっているわけです。

図1

図2 近畿圏の世帯数
(クリックで拡大)

 約40年の新規供給戸数と世帯数を振り返ってみました。どうやら今しばらくは、2万戸強市場であると考えねばならない様です。では、なぜ2万戸市場になったのか-。次回以降で考察してみます。

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